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数学Libre 第24回

番外編 :「 ものづくりの数学のすすめ」 のすすめ

「現代数学」2017年5月号(現代数学社)


 ここ2 回ζ関数の話をした続きで今月はリー マンζ関数の話を書く予定でしたが,3 月20 日 に拙書「ものづくりの数学のすすめ」が出版され ましたので,そこで触れている話題をしばらく 書くことにします.


 2000 年に入った頃から計算機の性能が上が り,量的変化が質的変化を伴うようになってき ています.i-phone が発売されたのは2007 年で した.最新のスマートフォンの浮動小数点演算 の性能は1990 年代中盤のスーパーコンピュー ターと同程度ですから,20 年前のものとはいえ 国家戦略で作られた計算機がポケットの中にあ る時代となったのです.


 急激な技術の発達は日本の名だたる企業に影 響を与えており,新聞紙上でも連日報道されて います.欧米はこのような社会の変化に対し戦 略をもって対応しています.例えば,ドイツは IOT(モノのイン ターネット)を第4 の産業革命と捉え て, インダストリ 4. 0 という概念を 提唱して, この急 激な変化を乗り越 えようとしていま す.


 80 年代頃までは 健康でさえあれば 工事現場等の単純な労働で生活ができました. それらがいつの間にかユンボに取って代わったよ うに,現在の日本の労働人口の半分程度が機械 に代わると言われています.


 第4の産業革命に向け,昨年4月経済産業省 は2030 年の雇用予想を提示しました.IOT に関 わる改革を行なっても行なわなくても,雇用が 100 万人単位で失われることが示されました.人 口減少による労働力の低下は250 万人程度[ 2] と見込まれていますので楽観視はできません. 製造業の就業人口は現在約一千万人ですが,そ の何割かが失われる事を意味します.




 このような傾向は世界全体を覆っており,世 界がどんどん高度化しています.そのような中 で数学の果たす役割は確実に増えます.実際数 学と社会との連携に関する文科省からの提言が され,それに伴う研究所が設立され,会議も頻 繁に行われ,多くの事例では成果も上がってい ます.


 しかし,数学の持つポテンシャルはもっと高 いはずです.そもそも「数学の役割とはなにか」 という問いの答えが出ていないために,そのポ テンシャルを引き出せていないと感じます.  その原因の一つは「数学」という用語が明確で なく個々人の理解によって差異が大きすぎるこ とです.「数学」が小学生のプログラミングの教 育だったり,統計解析ソフトRの習得だったり, 次期計算機の話だったりします.企業の経営者 から「数学に期待すること」を聞いても[3](それ 自体は意味深く内容もとても面白いものです)そ の数学像が高校数学レベルや物理数学でなにか ちぐはぐな印象が残ったりします.


 現代数学の活用という話題が俎上に乗ること はほとんどありません.もちろん,現代数学が 素粒子論に役に立つという話は聞きますが,そ れはインダストリ4.0とは無縁な話です. (21 世紀の技術分野においては「役に立たない」と思っ たものが役に立ったりします.そもそも「役に立つ,立 たない」などという尺度と「学問の深さ」は異なるもの です.学問は「役に立つ,立たない」をあまり意識せず 深みを目指せばよいと考えています.)


 私はキヤノン(株)に27年間在籍し,管理職と して10 年間過ごし,同時に代数曲線を中心にし た数学研究を行ってきました.つまり,企業の 現場と純粋数学の研究の両方を経験してきたの です.特異点論や,無限次元リー環,点過程, Γ収束,擬等角写像,圏論などが現場で起きる 現象を表現する言葉になり得ることを実際に体 験してきました.


 ダ・ヴィンチは「工学は数学的科学の楽園で ある.何となればここでは数学の果実が実るか ら.」と述べましたが[4],21 世紀の工学の現場で は21 世紀の数学 の果実が実ってい ます. 私はアカ デミックと企業の 現場を経験する中 で, 製造業にお いて如何に現代 数学がその役割を 果たすべきかを長 く潜思してきまし た.それを著した のがこの本です[1].
ダ・ヴィンチ


 現代数学の考え方とその言葉としての役割が, いまこそ,技術において求められています.特 に「製造業=ものづくり」においてです.


 「ものづくりの数学のすすめ」[1]は
第I 部:ものづくりの数学とは(産業構造改革における数学の役割)
第II 部:現場でのものづくりの数学活用方法(実践編)
第III 部:ものづくりの数学技術者への道(勉強方法編)


の三部で構成しました.


 第I 部は社会的な背景,時代的背景を解析し た後に,現代数学の果たす役割を提示しました. 技術者が現代数学を操ることの必要性とそれに より得られるアドバンテージを述べました.


 第II 部では,企業とアカデミックの質的な違 いを前提として,如何に両者が連携してゆくべ きかを示しました.両者の質的な違いを見極め ておくことがとても重要になります.


 第III 部では,数学科卒でない研究者・技術 者が現代数学を独力で学ぶ際のアドバイスを提 示しました.


 本来,アカデミックの果たすべき役割は現場 の技術者に学問をを教授することです.連携が 成熟した化学分野ではそうした仕組みが出来て いますが,数学ではまだ望めません.そのため 書いたのが第III 部であり,これが学ぶ技術者の 一助になればと願っています.


 書店で[1]を見かけたら手に取って頂ければと 思います.縦書きで数式はわずかしか出てきま せんが,数学の書だと思っています.


【参考文献】
[1] 松谷茂樹 「ものづくりの数学のすすめ」 現代数学 社 2017 . 3
[2] 国立社会保障・人口問題研究所 人口統計資料集 2016 年版性,年齢別労働力人口の将来推計:2012 ~ 30 年
[3] 儀我美一,小林俊行編「数学は役に立っているか? (『数学が経済を動かす』日本企業篇)」シュプリンガー  2012 年
[4] ダ・ヴィンチ(杉浦明平訳) レオナルド・ダ・ヴィン チの手記 下 岩波文庫 1957



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