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数学Libre 第25回

番外編 :「 ものづくりの数学のすすめ」 のすすめ II

「現代数学」2017年6月号(現代数学社)


 3 月に出版された拙書「ものづくりの数学のす すめ」に関わる話題の続きです.  数学は役に立つという話や成功事例をよく聞 きますが,前回書きましたように,数学のポテ ンシャルはもっと高いと考えています.


 近年,数学と言えばビッグデータ,人工知能 に関する話題が中心です.確かに,統計データ 処理や認知や学習に関わる科学者・技術者はま だ足りておらずこの分野の人的強化はとても重 要です.しかし,機械学習ソフトウエアのユー ザーについても同様ですが, 例えば, 単純な データ解析のみができる人材を育てることは将 来的な視点から見るとどうなのでしょうか.ソ フトウエアは日進月歩で高度化しており,簡単 な処理はその機能に含まれてゆくことは確実で す.データ解析については,相関を取るべき対 象の決定,相関が低かった理由の解析,データ 構造の中の幾何学的特徴付けなど,高度な数学 モデル化が必要になるでしょう.そのためには 様々な数学の力が必要になります.


 このような状況を眺めると,そもそも「数学が 役に立つ」とは,「いったいどういうことなのか」 という事を立ち止まって真剣に考える時期に来 ていると考えられます.


 その答えは,研究会で個々の役に立った事例 を聞き取って, それを博物学的に採取する手 法では得られるとは思えません.フッサールが 行った「数学とはなにか」という思索に近いもの を行うべきなのです.フッサールの哲学的考察 に関しては,鈴木俊洋による著作[2]によってそ の内容を把握することができます.今回は「数 学が役に立つ」とはどういうことかを「ものづく りの数学」の立場から述べてみたいと思います.




 「ものづくりの数学」を社会科学的観点から考 察すると3 つの役割があると考えています. 1) 概念と言葉は分離できない事を前提とした 科学・技術の言葉としての役割 2) 異なる学問分野(パラダイム)を繋ぎ,通約 不可能性を克服する言葉としての役割 3) 現実への適用の際に極限操作自身をコント ロールする役割 の3 つです.



ソシュール( 1857-1913)


 1)は言語学者 ソシュールが構 築した記号論を ベースとするも のです.  先日もある講 演会で, 数学を 利用している応 用科学者の「数 学は役に立つと いうのは幻想にすぎない.数学の言葉が必要な 状況は極めて稀なことだ.違うというならば数 学者がそれを示すべきだ」という趣旨の発言を聞 きました.確かに,その一面は否めません.し かし,言葉がなければ概念を構築できないとい うことを記号論が主張しています.表現したい 意思を持つ者(つまり,技術者,科学者)が言 葉を知らなければ,概念を認知できず,それを 発展させることもできません.例えば,実験に よりファラデーが見つけ,彼の頭の中にあった 様々な概念を,マックスウェルが言葉にしたこ とで,それは万人が利用できる「電磁気学」に昇 華し,更に20 世紀後半からは,U(1)-主ファイ バー束のアフィン接続としての記述により濁り のない緻密な議論のできる学問となりました.


 21 世紀に入って複雑な事象が増えてきていま す.それらの幾つかは現代数学という言葉なし では,その本質を掴むことができません.「言葉 は必要ない」という発言は,新たな概念が実質 的には生まれていないか,認知できていないこ とを意味しているように感じます.


 ダ・ヴィンチが「技術の言葉は数学である」と 述べたように,言葉なしに現象の理解はできな いのです.その事実を真正面から受け止め,科 学者・技術者が現代数学という言葉を学ぶべき 時期に来ていると考えています.



クーン( 1922-1996)
 2)は科学哲学 者クーンが見抜い た科学の脆弱性を 発端とします.そ の脆弱性を克服す るための道具とし て,数学は異なる 学問分野(パラダ イム)を繋ぎ,通 約不可能性を克 服する力を持って いると考えます.


 まずは,科学者・技術者が科学の脆弱性と通 約不可能性を認識することが前提です.その上 で通約不可能性を乗り越える可能性を問うので す.技術の現場では,一つのパラダイムのみで 事が済むという時代は既に終焉を迎えています. ギボンズのモード理論では[3],それが科学の進 化であると述べられています.この見方に立つ と,技術融合を目指す産業の現場の方が進んで いるのは確かです.


 3)はワイエルシュトラスの弟子である哲学者 フッサールの行った,極限操作に対する警鐘の 再評価です.ε-δを操ることで数学の現実への 適用の際に極限操作に気を配るのです.  そもそも数学と 社会との関係を考 える際には「数学 は技術の言葉の 極限操作されたも のである」という フッサールの認識 に立つことは必然 です.



フッサール( 1859-1938)
 このような3つの役割を基にして「数学」や 「技術」を理解することで,数学のポテンシャル を引き出すことを目指すことが重要です.そう することで数学と現実との対応やパラダイム間 の共通言語の提供が可能となると考えています.  現代数学には,科学技術がどんなに進歩しよ うともそれを表現できるポテンシャルがありま す.言葉として科学を制御し,新たな技術を創 出する力を持っています.この事実を体験して きた者としての主張を著したのが「ものづくりの 数学のすすめ」なのです.










【参考文献】
[1] 松谷茂樹 「ものづくりの数学のすすめ」 現代数学 社 2017.3
[2]鈴木俊洋 数学の現象学: 数学的直観を扱うために生 まれたフッサール現象学 法政大学出版局 2013 年
[3] M. ギボンズ(小林信一監訳) 現代社会と知の創造 ―モード論とは何か 丸善ライブラリー 1997 年





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