松谷茂樹のホームページへようこそ 

数学Libre 第26回

番外編 :「 ものづくりの数学のすすめ」 のすすめ III

「現代数学」2017年7月号(現代数学社)


  3 月に出版した拙著「ものづくりの数学のすす め」[1]は,5 月号でも述べましたが三部構成に なっています.その第Ⅲ部は「ものづくりの数学 技術者への道( 勉強方法編)」としました.  なぜ,「勉強方法編」を付け加えたのかという 理由などを今回は書きます.それは「ものづくり の数学」における数学者の立ち位置についての私 の考えを述べることでもあります.

 「役に立つ」という言葉はとかく誤解を生みや すい言葉です.例えば,「代数幾何がストリング 理論の役に立った」という時の「役に立つ」と 「特異点論がインクジェットプリンターの吐出シ ミュレーションの数学モデル化の役に立った」と いう時のそれとは,ずいぶん意味合いが違いま す.そして,私は,少なくとも,市井に向けて 「役に立つ」ことを声高らかに謳う際の「役に立 つ」という言葉は,市井の暮らしにとって役に立 つ場合に限定するべきだと考えています.この 前提の下で「現代数学はものづくりの現場で役に 立つ」という主張を拙著においてしました.

 ソシュールは「言葉がないと概念すら認識す ることができない」ことを彼の記号論で示しまし た.21 世紀になって,技術が高度化し,従来の 工業数学だけでは技術を表現できない事象が増 えてきています.現代数学が現代科学技術の言 葉として役に立つ時が来たということです.

 その際,現代数学という言葉を利用すること で、解決したい対象や課題を持っているのは, 技術者や科学者です.「何をどうしたいか」とい う要望も彼らが持っています.前回述べたよう に,「役に立つ」ことは「数学者自身が示すべき」 という主張もありますが,私は技術者・科学者 が示すべきと考えます.つまり,「数学を利用す る」側が現代数学を学ぶことで,現代数学を役 立てるべきということです.この視点に限れば, キーパーソンは技術者,科学者であって数学者 はそのサーボーターであるべきということです.


 従って,「如何に現代数学を技術者が操れるよ うにするのか?」「現代数学を操れる技術者を如 何に育成するのか?」というのが,社会に数学 を根付かせるための最もプライオリティの高い課 題だと考えます.残念ながら,今の社会にその ような仕組みがあるとは思えません.仕組みが なくとも,独学という方法があります.これが 拙著[1]では技術者が現代数学を独学するための 「勉強方法編」を記載した理由です.



ヒルベルト( 1862-1943)


 もちろん,数学者自身が(数学を学んだ後で) 新たな技術や学問を一から学ぶことで,そのよ うな方向を推 進することは 当然あってよ いことです.

 ヒルベルト は,畏友ミン コフスキーの 「数学は科学 の言葉である べき」という 意思を継ぎ, 20 世紀初頭,特に数理物理学者としての研究も 行い,自身の偉業の中で比較するとやや色あせ て見えるものの,多くの成果を上げました.や れる数学者はやればよいのです.「勉強方法編」 では自分の専門と異なる分野の学問の学び方に ついても記しました.

しかし,数学者にはそれとは別に,更により 重要な役割があると考えています.現代数学の 最大の特徴は,それ自身が言葉として揺るぎな い盤石な基盤であることです.それは物理や化 学などと大きく異なることです.多くの学問で はそれぞれの科学の常識の下で「後出しジャンケ ンのようなもの」があります.所謂,パラダイ ムです.現代数学には,そういう後出しジャン ケンがありません.一点の曇りもない厳密性が 現代数学の特徴です.数学者の最大の役割はそ のような「曇りない言葉」を構築,推進すること であると考えます.

 「何が「役に立つ」か」は誰も予想できません. ですので,従来通り,現代数学を発展させると いう数学者の役割は揺るぎないものであること は再認識すべきです.

その上で,新たな数学利用者に対して,数学 者は「現代数学を教え,数学利用の際の意見を する指南役」を担うべきだと考えています.

フォン・ノイマン( 1903-1957)
フォン・ノイマンは「数学は経験に即したその 発生の原点から遠く離れ,「現実」から乖離した 第二, 第三世 代になると, 致命的な危機 に陥ります. …… 危機とは 摩擦を避けた 安直な発展で あり, 原点を 忘れることに よる学問の無 意味な分岐で あり,瑣末な精密化や複雑化を意味します.」[2] と述べました.全員である必要はありませんが, 数学者が,現代数学の言葉を操れる技術者,現 代数学を学ぼうとしている技術者と交流するこ とは,数学にとってもよい方向であると考えま す.少なくも,同時代性という緩い影響を受け ることはとても大切です.

アカデミックの中にいると「社会に役に立つ」 という事をリアリティを伴ってイメージしにくい のは事実だと思います.数学者の多くは「役に立 つのは自分の専門分野と遠い初等数学や応用数 学のいくつかと統計学のみだ」という意識を持っ ているかもしれません.


 上述の目指すべき状況を実現するためには

1. 数学者が「現代数学は市井の生活を変える意 味で役に立つ」ということを認識すること

2. 応用科学者,技術者が「現代数学のポテン シャルは高く,どんな問題もクリーンに記述 できること」,「そもそも数学は「技術の言葉」 の極限操作されたものであること」を認識す ること

がまず必要だと考えています.

その上で「勉強方法編」を書かなくても済むよ うな社会の仕組みができれば,更によいと思っ ています.化学の世界などでは,企業や技術者 がアカデミックを招いて,技術者主導の下で, 新たな技術を学ぶという仕組みができています [1 ,p. 122].そのような成功例をプロトタイプと して,現代数学を学ぶような仕組みが社会の中 に生まれることを願っています.






【参考文献】
[1] 松谷茂樹 「ものづくりの数学のすすめ」 現代数学 社 2017.3
[2] J. von Neumann, The Mathematician, The Works of the Mind edited by R. B. Heywood, Univ. Chicago Press 1947





数学エッセイへもどる  >>

↑ PAGE TOP

inserted by FC2 system