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数学Libre 第27回

番外編 :「 ものづくりの数学のすすめ」 のすすめ IV

「現代数学」2017年8月号(現代数学社)


  このようなエッセイを書き始めたのは,2011 年の3. 11 がきっかけでした.第一回[1]は「い まこそ理系よ 立ち上がれ!」という題名で

 ヒルベルトが論じた頃より,21 世紀は数学 が科学技術の基礎として深く生活に入り込 んでいます.世界が複雑化した中で数学に 何ができるのか.今こそ物理に限らず,全 科学,工学に向けた21 世紀版の「クーラ ン・ヒルベルト」の構築を目指すときです. 再生に向けて数学はどうあるべきか,どの ように考えるべきかというような事を少しづ つ書いてゆくことにします.

 と締めくくりました.「クーラン・ヒルベルト」 とはクーラントとヒルベルトが著者として名を記 した教科書「数理物理学の方法」[2]の事です.

 もちろん,私はその前から,純粋数学と応用 数学,ものづくりの現場の三者を経験したもの として,数学の役割について,何れは何処かで 自ら発信をしたいという思いを抱いておりまし た.「線型代数学周遊」[3]はそのような思いか ら,2010 年から連載をしたものでした.

 しかし,「数学は社会の中でどうあるべきか」と いうことを真剣に考えなければならないと感じた 大きな転機は3. 11 でした.そして6 年経ってそ の私なりの答えを提示したのが,[4]です.少な くとも,6 年前よりずっと言葉になったと思って います.

 今回は,「21 世紀版の「クーラン・ヒルベルト」 の構築を目指す」ということの意味について述べ ることにします.


ミンコフスキー( 1864-1909)
 その意味する ところは少し複 雑かもしれませ ん[5]. しかし, それが目指すべ き方向性につい ては少し述べら れるように感じ ます.


 ヒルベルトの 畏友であったミ ンコフスキーは,整数論の二次形式論において 深い結果を早くから得て,新たに変化してゆく 物理学などを数学によって表現することを目指 しました[6].1900 年パリで開催された第2 回 国際数学者会議( ICM) の講演において,当時 40 歳前の新進気鋭の数学者であったヒルベル トにあの「ヒルベルトの23 の問題」を提示する ことを強く勧めたのは,ミンコフスキーとフル ビッツでした.第6 問題に「物理学の諸公理の 数学的扱い」が入ったのは,ミンコフスキーの 影響が大きいと言えます.

 1902 年,ヒルベルトはミンコフスキーをゲッ ティンゲン大学に呼び寄せ,諸科学の基礎たる 数学の研究をミンコフスキーと始めました.ア インシュタインの特殊相対論の発見直後に,ミ ンコフスキーがそれを幾何学的に記述できたの も,そのような研究を彼が既に行っていた証と 言えます.

 しかし,その7 年後の1909 年に,ミンコフ スキーは虫垂炎によって突然この世を去ります. ヒルベルトはその時, その遺志を継ぐことを 誓ったのではないかと思われます.「ヒルベルト 空間」の名はフォン・ノイマンの一種の悪ふざけ の感もなくもありませんが,積分論,二次形式 論などにより,量子力学や一般相対論にも強く 影響を与えました.

 「クーラン・ヒルベルト」はヒルベルトのこ のような強い決意によって生まれたと言って過 言はないと思います.クーラントもミンコフス キーの生前の思いを受け継いだ一人でした.ユ ダヤ人であった彼は「クーラン・ヒルベルト」の 出版とほぼ同時期にドイツを後にします.  強い責務を感じた者が「数学は社会の中でど うあるべきなのか」という事を考え抜いて出来上 がったものが「クーラン・ヒルベルト」でした. ミンコフスキーの急死がなければ少し違ってい たかもしれませんが,強い使命感がそこにはあ り,そして実際にこの書が20 世紀の物理,工 学を支えました.

 このような背景を知ると,21 世紀の「クーラ ン・ヒルベルト」の目指すべきものは朧気ながら 見えてきます.

 2011 年当時,既に「線型代数学周遊」[3]の 元となる連載を行っていました.その中では,21 世紀において重要となるであろう数学について 述べました.その後の書籍化の際に,位相幾何 や集合論のミニマムも記しました.「世界を数学 によって記述する」ことを本気で考えるならば, 技巧的なものよりベースとなる基本的な考えを 理解することがとても重要だと思っています. 「数学クイズ」や「数学の慣習の不思議を述べた もの」「個々の数学の問題の対応の仕方」などと は,その目的が全く異なるのです.


クーラント( 1888-1972)
 21 世紀においても, オリジナルの「クーラ ン・ヒルベルト」はまだまだ現役です.そこか ら学ぶべきことはたくさんあります.これを形 作った者の強い意志の表れだと思います.  同時に「クーラン・ヒルベルト」のみでは記述 できない現象が増えているのもまた事実です.  書籍として「21 世紀のクーラン・ヒルベルト」 がどのような形になるべきかはとてもデリケート な問題です.

 しかし, その ような具体的な 議論をする前に, 「世界を数学に よって実際に記 述し, 世界を変 えよう」という ミンコフスキー, ヒルベルト, クーラントが共有 したであろう思い を,まず,我々も共有すべきです.  それが[1]の後[4]を著そうとした強い動機の 一つでした.


【参考文献】
[1] 二宮暁 今こそ,理系よ立ち上がれ! 「再生の数 学」第1 回 理系への数学 2011 年7 月号
[2]R . Courant, D. Hilbert, Methoden Der Mathematischen Physik 1924
[3] 松谷茂樹 「線型代数学周遊」現代数学社 2013
[4] 松谷茂樹 「ものづくりの数学のすすめ」 現代数学社 2017 . 3
[5] 二宮暁 クーラン・ヒルベルトからヒルベルトへ「 数 学Libre」第7 回 現代数学 2015 年12 月号
[6] 二宮暁  ヒルベルトとミンコフスキー 「再生の数 学」第14 回 理系への数学 2012 年9 月号

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