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再生への数学 第19回

「ポパーとクーン」より

「理系への数学」2012年12月号(現代数学社), 二宮暁(ペンネーム)



現代科学論を論じる際に,科学経験主義とも言われる論理実証主義的なものがあり,その反動としてポパーの反証主義[1] が20 世紀中盤に現れ,それをクーンのパラダイム論[2]が根底から突き崩したことを知ることは大切です.

ポパー

 ポパーは「科学的発見の論理」を1934年に著し, その中で, 科学において「反証」という操作が本質的であると提示しました.例えばニュートンの万有引力は長く正しいと信じられ, 小惑星ケレスの発見など多くの予言と真実を提供してきましたが,特殊相対性理論の出現によりその遠隔相互作用を前提とする考え方が否定され,一般相対性理論に取って代わられました.
つまり,科学的真実は常に反証の対象とされ,反証されない間は正しいと考えられるのです.
これは何度か述べてきたワイエルシュトラウスのεーδ 科学論に適用したと考えられます.科学的要請,あるいは科学コミュニティの社会的要請から定まるεという精度で眺めた際に,その科学的原理が「連続的に」現象を表現できるのか断絶があるのかということが,各領域(例えば光速に近い領域)で試されているとみればよいのです .
もしも断絶が生じたと認識された際にはその科学的真理は新たなものに取って代わられるのです.
ポパーは,このような反証という攻撃に耐えることで科学的真理が磨かれると考えました.
つまり,これが前回述べた神話と科学との差異と考えられるものの一つです.

 

 しかし,クーンはパラダイムという考え方を提唱し,反証主義が主張するような現象は科学の歴史の中で多くは存在しなかったと反論しました[2 ,3].クーンパラダイムとは科学者(専門家)集団の暗黙の合意事項というべきものです.科学者集団にはある種の約束が必ず存在します.例えば,微分幾何と代数幾何それぞれの研究者コミュニティがあって,それぞれの研究者同士で「多様体」と呼ぶ際,前者では「微分多様体」を,後者は「代数多様体」を意味します.
つまり,科学者集団にはそれぞれ暗黙の合意事項があり,それが狭い意味のパラダイムなのです.クーンは,ニュートン力学と特殊相対論の合意事項が全く異なり,そのような合意事項の変質が科学の発展であるとみたのです.

 野毛はクーンの考えを概観して
「現実の科学者は基本用語の抽象的な定義から出発するのではなく,典型的な問題の解法を学ぶことによって具体的に仕事を進める.「力」や「化合物」といった用語の意味は明示的に定義されるわけではなく,そうした「標準例(standard examples)」を通じて文脈的に理解されるのである.この標準例は「教科書」を通じていわば天下り式に与えられるのであり,科学者たちはそれを手本に具体的問題に取り組む.そこにあるのは「合意」や「一致」ではなく,むしろ「訓練」である」
と述べています[3].前回述べた一種のタブーやアド・ホックな仮説を,演習という訓練を経て会得することで,コミュニティの一員として認められます.
第12 回で述べたように数学も含め個々の科学コミュニティにはフォークロアが存在し,それを伝承することで阿吽の呼吸を共有することとなるので,数学もこれら の対象外ではありません.



 例えば,経済学が科学になってゆく様を[4] において佐和はクーンに従って詳細に述べています.
18世紀のアダム・スミスあたりから始まった経済学の萌芽が20世紀に入ってアメリカ合衆国を中心として学問として成立してゆく過程についてです.

19世紀までは個人が自らの考えを著書として著し,学生がその原著を読むという研究スタイルが一般的でした.それを捨て,共通した用語と,それにより書かれた標準的な教科書を整備し,これを用いて学生を教育します.また,同業者による審査される論文誌を立ち上げ,個々が書物を出版することよりも,立ち上げた論文誌に投稿,掲載されることで科学者内での研究の位置づけを明確化してゆくのです.
例えば,ケインズの原著を読むことは重要でなくなり,各時 代の標準的な教科書を読み解くことで,経済学を行うための標準的な作法や考え方を学ぶことが重要となります.更にはそれを援用して論文を書き,同業者による審査のある論文誌に掲載,引用されることで学者になってゆくというのです.これが経済学では成功し,経済学は他の社会科学に先んじて反証主義に則った科学となったとポパーも評価したと,佐和は述べます.

 この形式に沿って,クーンがパズルと呼んだ解くべき問題が存在し続ける限りにおいてこの仕組みは機能します.この状態をクーンは「正常科学」と呼びました.
 解くべき問題(パズル)がなくなったり,社会や自然現象の実験結果などの外部環境の変化により矛盾が生じてきた場合に,この集団と合意した前提条件( タブーやアド・ホックな仮設) が崩れ,新たに出現した外部環境に対応した合意事項とそれに基づいた科学者集団が新たに生まれるというのがクーンの見方です.


 科学におけるパラダイムは服飾のモードに似ているかもしれません.
少なくとも数学・物理のプレプリントサーバのarXiv の流行と服飾の流行とにその構造的な意味では差異はありません.「正常科学」の枠内においても,斬新な多数の小さな試みが散在し,その内の何れかは次の数年の流行を産みますが,その一方,常に流行を生み続ける極めて少数のトップ集団が存在し,その結果を素早く取り込み消化し新たな結果を産む準トップ集団があり,それを支える大多数の集団が取り囲んでいます.同一のモード内では暗黙の約束ごとやタブーが存在し,それらを守ることで一種高揚した一体感を持つのです.
しかしファイヤアーベントの論調に従えば,科学者集団はそれが教育や政策等々を通して国家と結びついている点で服飾界とは大きく異なるといえます.
実際にセイフティーネットに税金を費やすか,世界一の計算機に税金を費やすかという判断材料の提供に科学は寄与します.


 このような科学が政策と結びつくことのきっかけはMIT の初代工学部長でもあったブッシュによるものであると村上陽一郎は指摘します[5].ブッシュはMIT 工学部で工学の科学化に貢献した後に第二次世界大戦の米国での科学・科学者総動員態勢の総責任者となり,マンハッタン計画を発足させ,戦後,軍民転換も兼ねた科学の国家への寄与を説いた「科学ーこの終わりなきフロンティア」という報告書を提出します.

 科学者集団は閉じた集団であり,集団の評価は同業者で構成されたコミュニティに委任されていて,外部から評価を受けることはありません.
しかしブッシュらの流れによって科学が「国家には開かれた」[5]と村上は述べます.
特に政策に影響を与える科学者集団に対してですが,科学者集団が専門間の争いを恣意的に避け,互いに距離を保ち,ポパーの言う意味での科学的真理の探究よりも科学者集団内の内向きのパズル解きに奮闘しているのではないかと国民が疑問を持つことになれば,委任された同業者内の評価も砂上の城とな りかねません.



 3.11以降,諸々を想定外とした科学者に対して漠然とした不信感があるように感じます.
その信頼を取り戻すための唯一の方法は,科学者集団の透明性を挙げ,科学者集団間の交流を行うことであると思います.そこに言葉としての数学の担う役割があるように思います.
また,同時にパラダイム間を論じる際にはポパーの視点も重要度を増すものと感じています.




【参考文献】
[1] 小河原誠 「ポパー ― 批判的合理主義( 現代思想の冒険者たち)」  講談社 1997年
[2] T. クーン( 中山茂訳) 「科学革命の構造」 みすず書房 1971年
[3] 野家啓一 「パラダイムとは何か クーンの科学史革命」 講談社学術文庫 2000年
[4] 佐和隆光  「経済学とは何だろうか」 岩波新書   1982年
[5] 村上陽一郎   「科学の現在を問う」 講談社新書  2000年



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