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再生への数学 第18回

「科学と神話」より 

「理系への数学」2012年11月号(現代数学社), 二宮暁(ペンネーム))



ヒルベルトの講義を元にクーランが著した数学書「クーラン・ヒルベルト」は20世紀の科学,特に物理の発展に「言葉」として貢献しました。しかし,初版本の発行から約90年,「クーラン・ヒルベルト」の演じた数学の役割とそれを支えた思想は大きく変化を 遂げました.
 現象論,記号論,構造主義等々の社会科学的な観点から,「言葉」に対する認識は20世紀に大きく変貌しましたし,「科学が人類の平和に貢献できる」という命題でさえ,疑いを持たれるようになっています.「真理は一つでそれが人類を幸福に導く」という楽観的な認識ももはや抱けなくなったように思います.
今回と次回は,科学論を眺めたいと思います.

 科学論におけるアナーキストであるファイヤアーベントは,「方法への挑戦」において「かくして科学は,科学的哲学が認めようとする限度以上にずっと神話 に近い」と述べ,科学が現代の神話であると主張しています.
ファイヤアーベント 神話は多くの「未開の世界」において生きる上の様々な疑問に答えを与え,それ以上の疑いを封じ込め生活の行動指針を提示します.


 構造主義を打ち立てたレヴィ・ストロースは来日した際の講演[2]で,民話と神話との違いを考察した後に
「神話とはまず,(中略)非常に古い時代におこったことの物語です.(中略)この太古の出来事は,いろいろの事物がどのようにしてできたか,現在どのようになっているのか,将来どのような形で残るかと いうことを説明します.」
「それは,過去によって現在を説明し,現在によって未来を説明して,ある秩序が現われるとそれが永遠に続くことを確認するのです.」と述べます.
 レヴィ・ストロースが提示した構造主義は,未開文化を対象としたフィールドワークをベースとして確立されたものです.様々な民族や社会的集団には普遍的な社会構造があり,それらは位相幾何における同相写像のような変形したものとして,個々の民族や社会集団の特性に合わせて,固有の社会構造として現われることを示します.
つまり,レヴィ・ストロースが示しているのは,構造としての神話です.それは民族にも時代にも強く依存せず,人間(の脳)が欲する共通した概念であると認識すべきです.

 その意味で,古代の神話の役割を,現代社会においては科学が担っているのは確かです.
「太古の出来事」を「確立された科学的事実」と読み替えると,新聞紙上での「科学的な」や「科学的に」という修辞の後に語られる事項に対し,科学が神話の役割を果たし ていることが見えてきます.

レヴィ・ストロース

 レヴィ・ストロースは神話は「ただ一つの説明によって,宇宙の様々な次元において事物がなぜ現在の姿であるかを述べます.」といい,「同時に,異る種類,異る型の次元の間に奥深いひそかな類似が存在し,ある次元が他の次元と照応するのはなぜかをも説明するのです.」とし,「宇宙論,天文学,気象学,動物学,植物学,社会学と,あらゆる層を通じて,結局は同一の問題が問われ,同一の問題に神話が答えようとしている」と続けます.


 ファイヤアーベントは[1]でロビン・ホートンの論文「アフリカの伝統的思考と西洋科学」に沿って,神話と西洋科学の類似性について概観し,「理論の追求は見掛け上の複雑さの下に横たわる統一性の追求なのである.理論は事物を常識が用意する因果的脈絡よりもさらに広い因果的脈絡へと置き入れる.科学も神話も常識に理論的な上部構造をかぶせるのである.抽象度の異なった理論がいくつも存在し,それ らは,説明上の異なった要件が現われる際にこれを満たすように用いられる」と述べ,レヴィ・ストロースに沿って概観したこととほぼ同一の事を指摘します.

 ファイヤアーベントはホートンが強調する神話と科学の相違として,「聖なるものとみなされる」「神話の中心観念」としての「アド・ホックな仮説」と,「その観念をおびやかすものに対する危倶」として「タブー」の存在の二つを挙げます.
別の言い方をすれば, ホートンは「科学は,「本質的懐疑主義」によって性格づけられ」ると説明していると述べます.これは次回に述べるポパーの反証主義に沿った考え方です.
 それに対し,ファイヤアーベントは,科学の中にもタブーが存在し, 基本概念はアド・ホックに与えられ,反証されることによって崩されるものではないと,これも次回に紹介するクーンのパラダイム論的視点で反論します.ファイヤアーベントはタブーの例として, 量子力学の隠れた変数や超常現象を挙げます.後者はファイヤアーベントの過激な論調の表れです.彼は,科学と神話に違いがなければ,進化論を学ばない自由や,医療における呪術的なものの選択自由もあるということさえ主張します.


 超常現象を挙げなくとも,量子場の理論における「繰り込み」,「ウック回転」に対する素朴な疑問,代数分野での「ツォルンの補題」や背理法を使用した証明方法について基礎論の視点からの疑問などは,タブーにもアド・ホックな仮説にも極めて近いものと 思われます.
つまり,ファイヤアーベントのアナーキーな言及はそれをそのまま受け入れることはできないにしても,たいへん重要な視点であるのです.

 民族学の対象として西洋文化を眺めると,西洋科学の源には西南アジアの神話である旧約聖書とそれを端とするキリスト教があると思われます.自然哲学と哲学が分離していなかった頃,中世においては神の存在証明などを読み解くことが,哲学の発展や 大学の設立に関連しました.またその後のルネッンス期においては西洋文化の源としてのギリシャ文化を取り込むことで,現代科学へ結実していきました[3].現代科学を西洋の神話の進化したものと見なす立場に立つと,現代の科学者は,神話と日常生活との関係を読み解くシャーマンということになるかもしれません.

 もちろん,ガリレイ,ニュートンの時代から百科全書等の教科書を作成することによって,科学は聖なるものから一般市民のものになっていったと村上は述べます.
それでも,科学者と呼ばれる者はある種の聖なる者として取り扱われているように思われ ます.何かにつけ,議論をする場には科学者なるものが意見を述べています.
その光景を一度,構造主義的立場で眺め,シャーマンであると相対化して捉えることは重要なことのように感じます.



 少なくとも,科学とて,社会科学的な研究対象の一つであります.
例えば,高学歴な若い科学者がカルト宗教に走った事件は,科学と呪術の類との違いは紙一重であるということを示唆していたのかも しれません.
また,20世紀の二度の大きな大戦を経て,科学は大量破壊兵器を生み出しました.原子力の利用原理に全世界の科学者が気づいてわずか6年程度で原子爆弾は開発され,その莫大な資本の回収 も相まって,原子力の平和利用が進められ,原子力発電所の事故に至ってしまったという経緯を考えると,
何れにしても「科学」の本質を楽観視することなく,科学自身を「科学的」に思考して行くことが肝要 と思われます.

 次回,ファイヤアーベントの師であったポパーと,ポパーと争ったクーンによる科学論を概観します.




【参考文献】
[1] P. K. ファイヤアーベント(村上 陽一郎, 渡辺 博訳) 「方法への挑戦―科学的創造と知のアナーキズム」 新曜社 1981年
[2] C. レヴィ・ストロース(大橋 保夫編, 三好 郁朗訳)「構造・神話・労働―クロード・レヴィ=ストロース日本講演集」みすず書房 1979年
[3] 八木雄二   「天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡」 春秋社 2009年
[4] 村上 陽一郎  「近代科学と聖俗革命」 (1976年) 新曜社 1976 年



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