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再生への数学 第11回 

「市井での数学」より 

「理系への数学」2012年6月号(現代数学社), 二宮暁(ペンネーム)


 文部科学省科学技術政策研究所は,2006年に「忘れられた科学- 数学」というレポートを発行しました.諸外国と日本との数学研究の科学研究費,論文 数,研究者の状況の比較や,諸研究分野からの数学への要望などをまとめたものです.
『「モノや構造を支配する原理を見出す」観点から,数学によるイノベーションへの寄与の可能性があり,数学と産業, 数学と他分野との共同研究実施に向けた検討や体制整備が必要』等,日本の数学の状況をやや批判的に書いています.

 「数学によるイノベーションへの寄与」を目指すという事は,広い意味の数学者が市井に出てゆくことを意味します.

 大学には「大学に残る=成功者」という式が漠然とあります.
数学を志す人は「数学によるイノベーションへの寄与」などは考えたことはないでしょうから,高校の先生かできれば大学に残りたいと漠然と考えているのではないかと思います.
もしも「数学を学ぶ者の夢=大学で数学を職業として行うこと」であれば,レポートは夢が適わない人が沢山輩出されることを要求しているとも見えます.

 かく言う私もこの「再生の数学」という題目で,数学によって社会が変わるべきだという視点を述べているわけですが,これも極論,「数学が社会に行き渡るためには,夢がかなわない学生がたくさんいないといけない」と述べていることかもしれません. もちろん,大学の数学の教員数はまだまだ足りないかもしれませんし,しばらくは数学の大学のポストを増やすことは重要なことかもしれません.
それでも,大学の教員のポストは近年、需要と供給のバランスが崩れ,既に問題となってきています[1 ,2]. 
学生にとっては「夢が適うか適わないか」は大きな 問題です.



山下達郎が2011年8月に朝日新聞朝刊の就職関連の紙面「朝日求人」の4回に渡るインタヴュー記事で,この「夢」について述べていました.

山下達郎  『「夢は必ずかなう」という言葉が独り歩きしている時代ですが,僕は「夢はかわない確率のほうがずっと高い」と思う人間です.ですから,懸命に努力し,その結果夢がかなわなかった時にどうするのか,それをも想定して仕事をするべきではないか.(中略)夢を最初から暴走させてはいけないのです.』
別の回では
『僕はアーティストという言葉が好きではありませ ん. 知識人とか文化人といった,上から目線の「私は君たちとは違う」と言わんばかりの呼称も全く受け入れられない.名が知られていることに何の意味があるのでしょうか.市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い.それが僕の信念です.(中略)職人たちは有名になることにはこだわりがないでしょう.人の役に立つ技術を自分の能力の限り追い求めているだけ.それが仕事をする人間の本来の姿だと思います.』と述べていま す.




 文部科学省科学技術政策研究所のレポートの内容全てに同意するわけではありませんが,寺山修司風に「書を捨てよ,町へ出よう」という呼びかけを数学に関わる人に向けてしているとも読めます.
 19世紀を機械の時代,20世紀を物理の時代と捉えた際に,21世紀は数学の時代と捉えられると感じます.その意味では文部科学省の呈した主張というより,時代の潮流であると思います.

 数学が世界に影響を与えてゆくには,数学者が市井に下りて行くこととなるのは確かです.山下達郎風に言えば,これから数学が普及してゆく中では文化人ではない数学者が多く育つことが必要であるということです.
そのためには,数学教育や大学の役 割自身も大きく変わってゆく必要があるということかもしれません.




【参考文献】
[1] 佐藤文隆 「職業としての科学」 岩波新書 2011年
[2] 円城塔  「ポスドクからポストポスドクへ」 日本物理学誌 63 (2008) 564-566.



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